ホーム > みなと文化とは? > 紅花など北前船交易によりもたらされた酒田の雛人形

みなと文化とは?
一般財団法人みなと総合研究財団

〒105-0001
東京都港区虎ノ門3丁目1番10号
第2虎の門電気ビルディング3・4階

TEL:03-5408-8291 FAX:03-5408-8741 / 03-5408-8747 WAVEトップページはこちらから

みなと文化とは?

港を介して蓄積された経済力に基づき、人々の生活の中で育ってきた「みなと文化」の例

船の出入りが多くなり、港を通じた物資のやりとりが活発になってくると、廻船問屋や商人をはじめ多くの豪商が誕生します。富を得た商人たちは当時の先進的なまちの芸術、芸能、文芸等の文化を積極的に取り入れたりして、地域の生活に根づいていくものも少なくありません。

ここでは、「北前船交易で賑わった酒田」についてみていきます。

〜紅花など北前船交易によりもたらされた酒田の雛人形〜

酒田港は、古くから、最上川舟運によって内陸から運ばれる米の集積地であり、敦賀や小浜を経由して関西方面と結ぶ海上輸送の拠点となったところです。

江戸初期に、河村瑞賢が開拓した西廻り航路によって大坂と直結したことで、上方の船の出入りが大きく増え、湊町としてたいそう賑わいました。

その賑わいは井原西鶴の「日本永代蔵」で、「西の堺、東の酒田」と並んで称されるほどでした。

酒田からは「米」や、一級品として名を馳せた「紅花」などが上方向けに運ばれ、これによって酒田の商人は多大な富を築いたといわれています。

「鐙屋」や日本一の大地主として知られる「本間家」などがそうであり、いまなお、これらの旧家が往事の面影を伝えています。上方からは「塩」、「木綿」、「日用品」の他に、様々な上方文化が乗せられましたが、その一つが「お雛さま」です。

当時の酒田の豪商たちは競って京都から豪華なお雛さまを買い求め、北前船の帰り荷には数多くの「お雛さま」を積み込ました。

お雛さまは江戸時代に商人を通じて全国に広まっていきましたが、有職故実に基づいた「有職雛」や派手な「古今雛」が流行する等、その時代にあわせて様々な雛人形がつくられています。

北前船によって運ばれたお雛さまは、当時の酒田湊の繁栄を物語るように、豪華さと風格があり、非常に贅を尽くしたものが多いと言われています。

さらに、「享保雛」、「治郎左衛門雛」、「古今雛」など様々なタイプがあり、人形の数、質においては他地域を圧倒する雛人形が酒田の旧家には残され、大切に保管されてきました。

まさに、紅花、北前船交易にもたらされた富の象徴の一つが「お雛さま」です。

酒田市や隣接する鶴岡市などの庄内地域では、平成11年より、毎年2月下旬から4月上旬まで、江戸初期からのお雛さまを24カ所の観光施設等で一斉展示する「庄内ひな街道」を実施しており、毎年県内外からの観光客で大変賑わっています。

本間美術館所蔵の雛人形

本間美術館所蔵の雛人形

本間家所蔵の雛人形

本間家所蔵の雛人形

〔出典〕社団法人酒田観光物産協会HP

Page Top