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みなと文化とは?
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みなと文化とは?

船を用いた交易・交流活動によって運び伝えられ、育ってきた「みなと文化」の例

海運による物資の輸送とともに他地域から運び伝えられ、地域の文化として根づいてきたもので、船乗り等の人を介して伝播された芸能・言語・文芸・信仰や、食べ物・生活用具等の物が伝播されたものがありますが、ここでは、富山の「食べ物」についてみていきます。

〜北前船がもたらした富山の「昆布」の食文化〜

平成20年家計調査年報によれば、富山市の1世帯当たりの「昆布」の年間支出金額は2,732円と、49年連続で全国1位であり、全国平均(976円)の約3倍と突出して大きいです。

国内で採れる「昆布」の9割は北海道でありながら、「昆布」が採れない富山市で、どうしてこれほど多く消費されているのでしょうか。

「昆布」が全国各地に流通するようになったのは海上交通が盛んになった江戸時代といわれていますが、その当時、北海道〜日本海沿岸、瀬戸内海〜大坂を航路とする「北前船」隆盛の時期であり、各寄港地のさまざまな生産物や作物を運んでいました。

富山(越中)も北前船の寄港地の1つであり、北海道(蝦夷地)で採れた「昆布」、にしん、さけなどが運ばれ、越中では米を中心に、酒、しょう油、薬などが積み込まれました。

「昆布を運んだ北前船」の著者である塩照夫氏によれば、その要因の1つとして、前述のような"北前船がその下地をつくった"と指摘しており、自然と昆布を多く食べる習慣が生まれたのではなかろうかとしています。

また、明治以降、富山県から開拓を求めて全国各地に移住する人や出稼ぎに行く人が増えましたが、その中でも北海道の「昆布」を含めた漁業に従事する人が多く、特に、「昆布」産地として有名な羅臼町の7〜8割が富山県出身者だったといわれています。

これらの人が国元にいる家族や親戚に昆布を送るなどを行って、県民が昆布に馴染んだともいわれています。

さらに、北前船によって大坂に運ばれた「昆布」は、密貿易によって薩摩から琉球を通じて、清国(中国)にまでもたらされました。

いわゆる「昆布ロード」と呼ばれるものであり、当時、財政難に陥っていた薩摩藩は、富山の薬売り商人から仕入れた「昆布」を清国に輸出し、清国からは漢方薬などの薬剤を仕入れ、それが薬売り商人が扱う薬の原料として使われました。

いずれにしても、「北前船」という航路によって各寄港地に運ばれてきた昆布が食べられるようになり、それぞれの地域独自の昆布料理、食文化が根づきました。

富山では昆布を出汁や料理素材に幅広く使い、昆布巻きや昆布締め、とろろ、昆布かまぼこなど、昆布料理や加工品が豊富です。

かまぼこ

昆布締め

昆布締め

かまぼこ

〔出典〕富山県HP

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